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![]() 人間はしみを、痕跡を、しるしを残す。 それがここに存在している、唯一の証しなのだ。 ―フィリップ・ロス 人はどこまで、裸になれるのだろう―。 ![]() より可能性に満ちた人生を手に入れるため、自分の人種を偽った男。 しかし、楽しげに遊ぶ白鳥の群れに混じり、「白いカラス」が水面下に水を掻く努力は想像を絶する苦行であったろう。 自由になるため、別の過大な不自由を受け入れたのだ。 フォーニア・ファーリー、大学の掃除婦。養父の虐待、夫の暴力、そして自己の過失による子供の死。「女の体に閉じ込められている男がいるし、男の体に閉じ込められている女もいる。だったら、私はこの体に閉じ込められているカラスだとしてもおかしくない―」 自分を取り巻く世界との違和感に悩み、徹底して孤高であることを選んだもうひとりの「白いカラス」。人が人を裁くことが日常と化した現代においては、我々は、誰もが群れに同化できず苦しんでいる、孤独な白い、あるいは黄色や緑のカラスである。 我々が、たとえ多大な痛みを伴うとしても、守りたいものとは何だろう。それほどまでに頑なに、守る必要などあるものだろうか。それほどまでに執拗に、隠しこだわるべきものなのか。いったい人というのは、どこまで裸になれるのだろう−。 ピュリッツアー賞作家の比類なき傑作と、『クレイマー、クレイマー』の名匠ロバート・ベントンの幸福な出会い。 最高のキャストとスタッフが緊密に織り上げた、珠玉のヒューマン・ドラマ。 ![]() 白い肌に、秘密を隠して生きてきた男。 白い心に、無数の癒えない傷を抱えた女。 偶然の出会いが、二人を過去の籠から解き放つ―。 ![]() 講義中に発した「スプーク」のひとこと。これが黒人学生に対する差別発言だと非難されたコールマンは、教授会で弾劾され、辞職に追い込まれてしまったのだ。しかもその知らせにショックを受けた妻は、心労からあっけなくこの世を去ってしまった。 半年後──。いまだに怒りのおさまらないコールマンは、湖畔で隠遁生活を送る作家のネイサン・ザッカーマン(ゲイリー・シニーズ)を訪ね、職と妻を失った経緯を本にしてくれと依頼する。コールマンの勢いに圧倒されながらも、「自分で書いたらどうです?」と応じるネイサン。しかし、2人の間には不思議な友情が芽生えていく。自らも失意の人生を送っていたネイサンは、コールマンとの交友を通じて「書けない」隠遁生活から抜け出し、励ましを受けたコールマンも、怒りを執筆により発散させることで徐々に生活のペースを取り戻していく。 コールマンがネイサンに「恋人がいる」と打ち明けたのは、2人が出会ってから1年が経過した頃のことだった。恋人の名は、フォーニア・ファーリー(ニコール・キッドマン)。義父の虐待、ベトナム帰還兵の夫レスター(エド・ハリス)の暴力、そして子供の死という悲惨な過去を背負った彼女は、復讐に燃えるレスターから逃げ隠れしながら、清掃の仕事をして生計を立てているまだ若い女性であった。住む世界が違いすぎる彼女との交際を、「危険だ」と忠告するネイサン。しかし、もはやフォーニアなしでは生きられなくなっていたコールマンは、強い口調でネイサンに反論する。「これは私の初恋でもないし、最高の恋でもない。でも、最後の恋なんだ」と──。 ![]() 一方のフォーニアも、心の最も奥深い場所に傷となって残っている出来事を、誰にも打ち明けずに生きていた。彼女が、自分に課した掟を破ってコールマンの家に泊まった日の翌朝。自己嫌悪にかられて外へ飛び出したフォーニアは、プリンスと名付けたカラスに会いに行く。物言わぬプリンスを前に、彼女は告白する。「最初に自殺未遂をしたのは、火事で子供を失ってから1ヵ月経った時のことだったわ。母親に20年ぶりに電話をしたら、私のことを『知らない人だ』と言ったの」。プリンスに心の痛みを吐き出した彼女は、この時初めて、魂の傷に苛まれているのが自分ひとりでないことに気がつく。 コールマンの家に戻ったフォーニアは、「ごめんなさい」のひとことに託して、コールマンの苦悩を思いやることのなかった自分自身の身勝手さを詫びた。「君がいて幸せだ」と微笑むコールマンに、「私も」と答えるフォーニア。その瞬間、最後の恋人であるだけでなく、最初で最後の理解者を得たコールマンは、50年におよぶ偽りの人生に終止符を打つべく、フォーニアに告白するのだ、自分はユダヤ人ではなく黒人である、と──。
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_Movie Information | Dondetch_ |