『エディット・ピアフ〜愛の賛歌〜』オススメ最新映画情報



_ エディット・ピアフ〜愛の賛歌〜


愛を生きた世界の歌姫─涙と喝采の物語

 "あなたの燃える手で、あたしを抱きしめて...。"このフレーズは私たち日本人には特に馴染みの深い歌詞であるといえるだろう。戦後の日本の歌姫、越路吹雪の代表曲である。そしてこの名曲「愛の讃歌」の生みの親が、世界の歌姫エディット・ピアフなのである。
 1915年にピアフは誕生した。世界は第一次世界大戦の真っ只中である。彼女の母親は路上で歌を歌い、その僅かな収入で彼女を養っていた。やがて、祖母が経営する娼館にピアフは預けられた。この激動の幼少期に彼女は光を一時失ってしまう。失明した彼女に、娼館の女たちは精一杯の愛を注いでいった。そして聖テレーズに祈りを捧げた際に奇跡的に光を回復する。彼女の生涯に渡る信心深さは、この時に生まれたと言われている。

 そういった経験が彼女を早熟にし、16歳の時には自立した人生を送るようになった。母と同じく路上で歌を歌い、日銭を稼いでいたが、稼ぎは母親の数倍もあった。その声に目をつけたのがパリの名門クラブのオーナー、ルイ・ルプレである。ルイは彼女の歌声の虜となり、彼女を自らのクラブの舞台に立たせる事を決意する。この時ルイがつけた彼女の舞台名が"ラ・モーム・ピアフ(小さい雀)"である。この瞬間に伝説の歌姫エディット・ピアフが誕生し、そして世界に羽ばたいていくのである。
 このピアフの波乱に満ちた生涯を綴ったのが本作『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』である。本作はフランスで今年2月に公開され、わずか8週で動員500万人を突破。この動員数はフランス国民の約10人に1人に相当する。

21世紀に歌い継がれる「愛の讃歌」
 時代を超え、国境を越え、彼女の歌は歌い継がれている。ここ日本も例外ではない。彼女が残した名曲の数々。「愛の讃歌」「バラ色の人生」「水に流して」「ミロール」等をそれぞれの世代が歌い継いでいる。前出した越路吹雪に始まり、美空ひばり、加藤登紀子、美輪明宏、中島みゆき、桑田佳祐、椎名林檎、SOPHIAなど、世代・ジャンルを超えて歌い継がれているのである。

 1963年10月に短い生涯を閉じたエディット・ピアフ。彼女の葬儀のためにパリ中から人が集まり、パリの交通網が完全にストップ。パリの交通が麻痺したのは第二次大戦以降初めての事であった。世界の人々に愛され、ジャン・コクトー、マレーネ・デートリッヒと交友を持ち、シャルル・アズナブール、イヴ・モンタンを世に送り出した不世出の歌姫の47年の人生は21世紀になった今もなお、輝きを放ち続けている。




そして《愛》は歌い継がれる…

 1915年、エディット・ジョヴァンナ・ガションはフランスのパリ、ベルヴィル地区に誕生した。時は第一次世界大戦中で、町中は戦火の渦だった。歌手を目指していた母アネッタは、路上で歌を歌い、日銭を稼ぐ毎日。そして、そのそばでエディットは小さくうずくまっていた。その後、彼女は祖母ルイーズが経営する娼館に預けられることになった。エディットのことを実の子と同じように可愛がる娼婦ティティーヌたちに出会い、戦争で傷ついた彼女の心は少しずつ癒えていった。しかし彼女の幸せな時間は長くは続かなかった。虚弱体質の彼女は角膜炎を患い失明してしまったのだ。何とか彼女の目をもとに戻してやりたいと思った。そこでルイーズたちは、エディットを教会に連れて行った。聖テレーズに祈るために。そして奇跡が起こった。聖テレーズに祈ると彼女の目は光を取り戻したのである。その後、彼女は聖テレーズのクロスを生涯手放す事はなかった。

 それから、大道芸人の父親に引き取られ各地を転々としたエディットは、父の大道芸の傍らで歌うことを覚える。彼女が歌った時は、いつもの数倍の金が集まった。彼女は自分の歌が人の心を動かすのを知ったのだ。
 1935年、エディットはパリのストリートで歌っていた。日銭を歌で稼いでいたのだ。そこで彼女は運命的な出会いを果たす。パリ市内の名門クラブ、ジェルニーズのオーナー、ルイ・ルプレが彼女の歌に目を留めたのだ。「もし人生を変えたければここに来てくれ」。彼女は彼からもらった名刺のクラブにいき、そこで歌を歌った。ルイ・ルプレはすぐに彼女を採用した。しかし彼女の名前が気に入らなかった。「エディット・ガションはパっとしないな。君を見ていると雀(ピアフ)を思い出すんだよ。今から君はピアフだ。」

 ジェルニーズでの舞台は大成功だった。彼女は一躍時の人となり、ジェルニーズは彼女の歌を聴きにきた観客で毎晩満席となった。彼女は遂に歌手として一歩を踏み出したのである。しかし、彼女の栄光はすぐにかげることとなる。ジェルニーズのオーナー、ルイが死体で発見されたのである。しかもエディットは容疑者の1人になっていた。容疑は晴れたものの、彼女がステージに立つと「人殺し!」といった罵声を浴びせられるようにまでなっていた。父親とも慕っていたルプレの死で絶望の淵に立たされた彼女を救ったのは、著名な作詞・作曲家であるレイモン・アッソであった。アッソはピアフに対して容赦ない訓練を施した。その甲斐あって、復帰のコンサートは大成功に終わる。彼女は舞台に戻ってきたのだ。その後の彼女はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでスターダムを駆け上り、フランス以外の国でも大成功を収める。フランス人で成功した者がいない国アメリカでも批評家から「無知なアメリカ人にはピアフの歌はわからない。だまって彼女の歌を聞けばいいんだ!」と絶賛される。そんな絶頂期を迎えていた1947年、ニューヨークで彼女は人生最大の愛に出会うこととなる。ボクシングの世界チャンピオン、マルセル・セルダンとの出会いである。マルセルには妻子がいたが、ピアフとマルセルは磁石のように急速に惹かれ合っていく。素晴らしい出会いは続くもので、NYでマルセルとの食事中に、映画界の大スター、マレーネ・デートリッヒがピアフに「あなたの歌は素晴らしいわ。パリの夜を思い出して泣いてしまったの。」と声をかけてきた。あこがれの大スターに声をかけられてはにかむピアフ。デートリッヒとは生涯を通じての友情を育むこととなる。

(C)2007 LEGENDE-TF1 INTERNATIONAL-TF1 FILMS PRODUCTION OKKO PRODUCTION s.r.o.-SONGBIRD PICTURES LIMITED

監 督  オリヴィエ・ダアン
キャスト  エディット・ピアフ/マリオン・コティヤール、モモーヌ/シルヴィ・テステュー、ルイ・バリエ/パスカル・グレゴリー、ティティーヌ/エマニュエル・セニエ、ルイ・ガション/ジャン=ポール・ルーヴ、アネッタ/クロチルド・クロー、マルセン・セルダン/ジャン=ピエール・マルタンス、ルイ・ルプレ/ジェラトール・ドパルデュー
公 開  9月下旬、有楽座ほか全国拡大ロードショー
公式サイト  http://www.piaf.jp/

_Movie Information Dondetch_